おぎはらさとし
理学博士.大阪大学名誉教授。東京都立新宿高校、国際基督教大学、大阪大学大学院理学研究科生理学専攻、アルバート・アインシュタイン医科大学(ニューヨーク)を経て大阪大学に就任。元大阪大学大学院理学研究科教授.
生命科学分野のなかの細胞生物学が専門。中でもアメーバ運動と細胞膜修復機構を一貫して研究。専門分野・執筆論文。
大阪大学および大学院理学研究科・生物科学専攻での教育と研究に与る。
2012年より「ワンコイン市民コンサート」を主宰。毎月世界各地の卓越した演奏家を起用して優れたプログラムの公演を開催してきている。2024年2月で134回の公演。ホームグランドは大阪大学会館ホール。ホールには世界でも稀なビンテージ・ピアノ1920年製造のBösendorfer 250 L
おぎはらさとし
理学博士.大阪大学名誉教授。東京都立新宿高校、国際基督教大学、大阪大学大学院理学研究科生理学専攻、アルバート・アインシュタイン医科大学(ニューヨーク)を経て大阪大学に就任。元大阪大学大学院理学研究科教授.
生命科学分野のなかの細胞生物学が専門。中でもアメーバ運動と細胞膜修復機構を一貫して研究。専門分野・執筆論文。
大阪大学および大学院理学研究科・生物科学専攻での教育と研究に与る。
2012年より「ワンコイン市民コンサート」を主宰。毎月世界各地の卓越した演奏家を起用して優れたプログラムの公演を開催してきている。2024年2月で134回の公演。ホームグランドは大阪大学会館ホール。ホールには世界でも稀なビンテージ・ピアノ1920年製造のBösendorfer 250 Liszt Flügelが設置されている(大阪大学所有)。良質な状態に管理され毎回の公演で奏でられる美音は多くの聴衆を魅了している。
きだせいこ
ピアノ調律師。約40年に渡りベーゼンドルファーピアノの専門調律師としてコンサートホール、レコーディングスタジオのピアノから一般家庭のピアノの調律までプロフェッショナルな仕事に携わる。
(株)B-tech Japan代表取締役。
もちだはやと
小さな頃から地図(地理)が大好きで毎日地図帳を2時間くらい眺めているような子供時代でした。大学では地理学を専攻し、専門分野を職業としました。平日は信託銀行というところで企業の不動産戦略の立案・実行に関するアドバイザリー業務、コンサルティング業務に従事しています。
地図・地理と同じくらい好きだったことがもう一つありました。ピアノです。親が与えてくれた玩具のなかで僕はミニピアノに強い関心を示したそうで、4歳の時、親がピアノを買い与えてくれました。
ピアノが家に届いて調律師さんがピアノを調律してくれた日のことをハッキリと覚えています。ピアノのそばにピタッと張り付いて調律されていく様子を眺めていたのでした。調律が終わり調律師さんに「弾いてごらん」と促され音を鳴らした時の気
もちだはやと
小さな頃から地図(地理)が大好きで毎日地図帳を2時間くらい眺めているような子供時代でした。大学では地理学を専攻し、専門分野を職業としました。平日は信託銀行というところで企業の不動産戦略の立案・実行に関するアドバイザリー業務、コンサルティング業務に従事しています。
地図・地理と同じくらい好きだったことがもう一つありました。ピアノです。親が与えてくれた玩具のなかで僕はミニピアノに強い関心を示したそうで、4歳の時、親がピアノを買い与えてくれました。
ピアノが家に届いて調律師さんがピアノを調律してくれた日のことをハッキリと覚えています。ピアノのそばにピタッと張り付いて調律されていく様子を眺めていたのでした。調律が終わり調律師さんに「弾いてごらん」と促され音を鳴らした時の気持ちよさ…。これが僕がピアノの虜になった原点です。
時は飛び、社会人となって仕事の面白みが増してきた27歳の時、皮膚の癌と潰瘍性大腸炎という特定疾患(難病認定)の病気を患いました。そこから30代前半まではずっと大学病院通いの日々でした。しかしながら、医療技術は日進月歩。新たな新薬のおかげで当初週2度の通院・白血球除去治療をしていたものが、2ヶ月に一度の点滴で済むようになり時間にも余裕が生まれました。
特定疾患の治療には多額の公費が投入されています。この受けた恩を何らかの形で社会にお返ししていきたい。そんな気持ちを強く持ちました。
地理・不動産の仕事を通じて社会に貢献する、所得を得て納税をするのは当たり前のこと。できれば、何か加える、あるいは掛け算で新たな分野に取り組みたい…。
しかしながら新しい分野といっても全くのゼロからだと時間がかかる…。と連想をしたときに浮かんだのは子供の頃から地図・地理と複線で取り組んできた音楽分野でした。
世の中には働き方改革の波が押し寄せていました。僕の中に幼稚園時のころから大学生まで習っていたピアノも再開したいという気持ちが芽生えつつありました。その気持ちに正直になろうと、仕事帰りに職場の隣駅にある音楽教室の個人体験レッスンをのぞいてみることにしました。先生を前に演奏しピアノのリハビリがしたいと告げると、先生ははっきりと言いました。「リハビリなんて言っているうちは上達いたしません。目標を明確に定め日々逆算して練習しないとダメなんです。」
そこから毎週のレッスンが始まりました。本業の仕事よりも厳格にPDCAサイクルを回していくレッスンは衝撃的でしたが、上達の実感がありましたし、仕事の生産性も上がるという副産物まで得られました。ある日のレッスンで先生から「あなたは音大を受験しなさい」と課題を与えられました。受験…それまで考えたこともなかった選択肢でしたが、とても明確な目標設定です。そして次の年の春、仕事をしながら一年ほど音大に通うことにしたのです。
音大の門から4軒目の家を借り、毎朝、音大の練習室でピアノの練習をしてから職場に行き、夜は仕事帰りに練習室が閉まるまで練習。同じように閉門まで練習していた現役の音大生たちと夜な夜な音楽談義をする日々の中から「音楽家の活動支援」というテーマが定まってきました。
コロナ禍においては、コロナ禍だからこそできることをやろう、ということで公演キャンセルで急遽空いた様々な音楽ホールを借りて、音大生達とホールでピアノの響きを聴く練習をしたり、収録機材を購入して撮影や生配信等にも取り組みました。また、NPO設立のサポートなども行っています。
本業の転勤で2022年から大阪にやってきました。大阪(京阪神)は日本で2番、世界で14番目のとても大きな都市圏です。
この大阪でも音楽・ピアノの分野で新たなことに取り組みたい。そう思っていたところ出会ったのがこのPSOのメンバーです。
毎回、議論をセッションのように楽しみながら本プロジェクトを進めています。この大阪の地から新たなものを生み出せることにワクワクとしています。
そしてなにより、これから出会う奨学者の方とのケミストリーを心待ちにしています。
【4歳から大学4年までヤマハ音楽教室に通う。戸川素子、國広佳子、堤まり、鈴木理恵の各氏に師事。法政大学文学部地理学科卒業。2007年信託銀行に入社。一貫して不動産事業に従事。現在、不動産コンサルティング部にて企業の不動産戦略の立案・実行に関するアドバイザリー業務に従事。日本地理学会、竹文化振興協会会員。
働き方改革の波に乗りピアノを再開。武蔵野音楽大学別科修了。岡野壽子氏に師事。若手芸術家活動の応援をプライベートで開始。日本音楽芸術マネジメント学会会員。特定非営利活動法人ArtsConsoleの顧問も務める。https://arts-console.com
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